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波と文学

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自業自得?はぁーん!?

発情するヤング、海亀、ワケありの中年カップル、自殺志願者、親子連れ、犬連れ、夏前夜ともいえるこの時期は気候にそそのかされて、待ちきれない人々が海に集まる。

乞食も来る。

街から離れている場所ということもあり、種田山頭火よろしく流浪型の乞食がこの浜辺にはよく辿り着く(滞在型の乞食は今のところ存在しない。乞食のようなジジィは居るけどよ)


昨日も風呂上がりに息子と近所を散歩していた。夕焼けが奇跡のように美しい町だ、同じように魅了されて日暮れ時に集まってくる老人連中や野良猫といつものように他愛もない話をしていると、どこからか流浪型の乞食もやって来た。
聞き取りにくい日本語で「大分の中津からやって来た」と言うのだが、こちらの陽気な老人諸君は「おー!博多の中洲からですか!ご苦労様!」などと応え、想像を越えるワンダーでチグハグな会話が始まった。

流浪型の乞食は自転車で移動しているらしく、靴がボロボロである。靴底を見せてもらうと大きな穴が空いていた。「若い頃はよく呑みに行ったもんですよ中洲には!」などと言っているジジィ共の言葉には上の空で「腹が減った」としきりに繰り返す乞食。見ていられんかった。


そもそも、乞食と俺の境界は在って無いようなものである、たまたま俺には妻が居て子が居て屋根があって布団があるだけで、目の前の乞食と俺の立ち位置が逆だとしても何もおかしくないのである、ギリギリの選択を、俺は今まで何度も繰り返してきた。それに、乞食の“浮き世との決別”にはどこか嫉妬にも似た想いもある。大衆への迎合を拒んだのか、その逆に拒まれたのか、どうでいいけど、それでも生きているその逞しさはやはり眩しい。

「少し金をくれ」と言われたがそれは断った。あれば呉れてやる、五千円でも一万円でも五万でも十万でも、あれば呉れてやるが、生憎こちらは今月も火の車を華麗にドライヴしている、あげたいのは山々だが貰いたいのも山々である。なので一度帰宅して履いていない靴を取りに戻ることにした。玄関を開けて夕飯準備中の妻に乞食がいた食いもんはねえか?と言えばすぐに弁当に詰めてくれた。(お陰で晩飯の肉じゃがの肉が無くなり“じゃが”だった)


そうして、乞食のもとに戻り、靴と弁当を届けて別れた。その様子を全て、俺に抱かれて見ていた言葉のわからない9ヶ月の息子に呟きながら歩く帰り道、人の暮らしの選択は自由過ぎるほど自由だ、それでも「生きている」ということが全て。面白いねえ、生きるって。生きているっていいねえ







とっくに陽は暮れていた。

俺は自業自得という言葉が嫌いだ。この言葉の蔓延が、自殺大国と呼ばれる祖国の悲惨な有り様に一役買ってる気がしてならない。どうあれ、海がすべての人を拒まないように、ここに暮らす以上、馬鹿や乞食を受け入れずとも、拒まずに生きたいものです。

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