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波と文学

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サヨナラ俺

ソファに座り本を読むにしても左隣の空白が気になり飯を食うときは向かい側の空席が嫌になる、友人の家やイベントに出掛けるときのドライブでは助手席が気になり帰り道では眠気覚ましの無駄話が無くて眠たくなる。出産のため、里帰りした妻の居ない初めの1ヶ月は物足りなさと微かな悲しさに包まれて空想の空中で脚、一人でバタつかせてる感じ。


されど、
慣れっつーもんは誰にでも訪れる。


そうしなければそれら幾つもの物足りなさや悲しさが次第に発酵してしまい、やがて、大いなる寂しさに変わってしまう。

そうなる前に人間はその「孤独」にまとわりつく色々を、各々の熟知したヤリ方で(きっと潜在的に、まずは必ず)ほぐして、耕して、ならして、寂しさに変わる前に、「慣れること」を覚えたのだろう。そうしなければ健全なハートやボディでいられないんすよ、僕ら、所詮、孤独な猿の“群れ”だから。ウキキ。


そして、そこからが愉しくて仕方なかった。
誰にも何も言われない大人の姿の阿呆な18歳が甦った僕はそこら中に着ていたTシャツ、ジーパン、靴下、シャツ、キャップを脱ぎ散らかし始めた、しかしパンツはさすがに洗濯機にぶち込んだ、あれは、なんというか、性器のパワー(イメージ・感触)が強すぎて景観の統一性を乱してしまう可能性があった。どうように、稀の稀に食べたくなり食べた2、3個のカップラーメンの容器や、スーパーの惣菜皿や、アイスのカップもそう。景観の統一性を一気にダークサイドに落とし込む可能性が強いから、そういうことは絶対にしない。散らかっていると、汚れているは似ているだけで豊臣秀吉と豊川悦司くらいまるで違う存在なのは我々、日本人の常識である。

室内の散らかりだけではない、行為も、妻の居ない空間では際限なく僕だけの創造が発揮される。裸で読書してみる。裸でサッカーゲームしてみる。裸で階段を登り、靴下だけを履いて階段を降りる。冷蔵庫の中で綿棒を冷やす。ご飯を食べる前にご馳走さまでした!と、言ってみる。ロックンロールを大声で唄う。GEOでポルノを借りる。無茶な時間に用もなく友人の家の玄関をノックする。暇そうな奴にワン切りする。廊下の蜘蛛に名前をつける。妻の嫌がりそうなアダ名を考える。日が暮れるまでスケボーする。ゲップをしまくる。ポテトチップスを二袋買う。狂いながら、詩を綴る、などなど。甦る大人の姿の阿呆な18歳の諸行。最後の、最後の最高のなつやすみ。




24時間後に僕のなつやすみは終わりを告げ、同時に嵐のような春が始まるのでしょう、喜びと可能性、たぷたぷで、絶叫の、愛の。生まれて初めての、生まれたての、愛と。




サヨナラ俺、
ハロー息子、


これがお前を迎えにゆく前夜の俺が部屋の掃除を中断して30分掛けて綴った今の生の気持ちと、気分である。呆れて笑え、
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