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波と文学

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慰めのたまねぎと、大竹秀信ノギグのこと。

                         


休日、朝日に抱かれた海辺を一人でペロついて居ると見知らぬ老人から「やあ」と馴れ馴れしく声を掛けられたので嬉しくなって私も「やあ」と御返事しました。すると、老人は唐突に私の名前を呼んだのです。予想していない展開に驚き、「どなたですか?神様ですか?」と私はつぶやいた。


そんなもの当然神様なんぞであるわけがなく、それは自宅の裏手に住むバツイチ老人の「大動脈小五郎さん(仮名)」であった。大動脈小五郎さんは以前、回覧板と自治会費の回収でウチに来たことがあり、初対面ではないのだが、その時の印象とまるで違い、戸惑った。「え、別人みたいですよ神様かと思ったもん、なんだよ大動脈さんかよ、こないだもっと怖そうな顔してたじゃん、なんなんだよ。超優しそうじゃん」と、緊張途切れて随分と馴れ馴れしい私。それから、大動脈さんと20分程度立ち話をした。バツイチ老人なだけあって、背負う過去の辛さの量が一般老人の1.5倍あるせいか、とても優しい目をしていた。別れて、帰宅後、妻の実家から届いたばかりの「たまねぎ」に、慰めの想いを込めて、差し入れさせていただいた。


夜は、大都会・鹿児島市まで行き、大尊敬をしている(※わざわざ書くまでもないが「尊敬」という言葉を軽々しく使えるほど私は愚かで青くはない。私が使う「尊敬」の対象は、この世にせいぜい一人か二人しかいない。)つまり、大竹秀信氏akaぢゃんさんは、私にとって、そんな人間の一人なのだ。今夜、その大竹さんのワンマンライブがSRホールで開催された。それに関しては、私の拙い言葉で云々書ける自信がないので、記録せずに記憶で留めておく。まさに、ぢゃんさんの偉大な人間性がおっぴろげられたようなLiveだった。その温もりと、強さと優しさと穏やかさに、私の邪悪な心が少し明るくなった気がした。



世界中の全ての、
石ころのような私のような友達よ、大人になった少年たちよ。
死ぬまで、
転がり続ける石であり続けようぜ。






 
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