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波と文学

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ほらね。











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春よ恋

先日のラジオで開口一番、乙武冗談ですつったらパソナリテーさんがうわちゃ!という表情をされており、え?と思ったのだが躊躇うことなく、或いは山下乙武です。なんつって第二の矢(乙武)を放った。




どうやら未だに火種が燻り続けている話題らしくネタにするのは時期尚早なのでは?ということらしいのだがなんのその。だいたいにおいて近頃、ネットのニュースをザっと目で追えば「炎上」という言葉が定期的に目立つ。そもそもテメエらで勝手に放火しておいて何が炎上ですか阿呆くさ、と、げんなりクル。しくじった?形の有名人に対して一斉放射の正論じみた罵倒、それにもすぐ飽きてまた次の標的を探し出して繰り返す暇潰しに阿呆くさ、と、虚しく思う。どうやら、不倫という行為に対して、人民は特に厳しいようですね阿呆くさ、と、笑いたくなる。それ(不倫)ってただの恋なのにね


乙武氏が「五体不満足」という名著と共にイビツな彗星のごとく浮世に現れたとき僕は高校生だった。まさかあの乙武氏が20年後に「女体満足」となり巷を騒がせるなんて誰も想像出来なかっただろう。まさに見上げたもんだよ屋根屋のふんどし!口八丁手八丁ならぬ口十六丁の奇跡!ボーダレスのキラ星に最大級のRESPECT(自民から出馬予定だったという一点を除いて)。




テメエやテメエの愛するひとがやらなけりゃ笑い飛ばせよひとの恋なんて。どのみちほとんど酸っぱく終わるよ恋なんて。




浮世のこういった戯れごとに対して自分の気持ちをわざわざ吐くことは下世話だとは思うものの限定的とはいえ公共の電波で他人の名前挙げてネタにしたことに対する自分なりのアンサー。これにて終わり。あーしょーもな。





ラジオ始めました。

相変わらず、愛しくも慌ただしい、子のいる日々を過ごしながらアレやコレやと企画したり準備したり練り直したりしているなか、




4月からFMさつませんだい(87.1)の新番組【オヤジのラジオ】で毎週スペシャルゲストとして出演し、好き勝手に喋る機会をいただいた。




子供の頃から唯一馴染み続けているメディアである「ラジオ」で話せるということは自分にとって楽しいことであり、それがまた故郷のローカルFMであるという限定的な枠も、心地よい。自分のような半端な詩人の端くれにこのような機会を頂戴してくれたパソナリテーの方やよくぞgoサインを出してくれた上層部の方に、この場において、ありがとうございます。と、綴っておく。

それにしても昨日の放送のまるで僕が詩人として食っているかのような話の流れに我ながら困惑もあったが、そんなことは無く、環境の変化や新しい目論見もあり、いつまで続けられるかわからないが天職であると自覚しているたこ焼き屋のお仕事あってこその詩人の形なのである、ありがてえす。



2月にオランダ、3月は博多で朗読を行い、4月からはラジオ。5月からは新たに予定している取り組みも控えており何よりも日々のリズムも変動的で、体力も使い、貧弱な私にはさぞ難儀ではあるものの、言葉を磨き詩を綴ることをないがしろにすることなくぺろーんと、余裕な顔で越えてゆけ



peace



ひっさびさに更新

2月の夜は、静かに冷えてゆく。

小さな寝息が聞こえる。
車の通りも少ない。
冷たい空気と僕はキッチンにいて、
小さなプロペラにケムリを吐いている。


外はきっと薄くかすれた雲がかかっていて欠け始めた月が小さく波立つ海に浮かんでいる。外に出なくてもそれがわかるのは、今夜は風の音が聞こえないから。


プッ。


おならをしたのは、
母親だろうか、息子だろうか、

2月の夜は、静かに冷えてゆく。


春よ来い、はよ来い。

冷たく強い風の吹くオランダでの幾つかの夜を経て帰国後はすっかり詩を綴ることに火がつき、目が充血しているのだが困ったことにロクに書けやしない。というのも、日常の至るところに幸福が寄り添い、視界のあらゆる場所に花が咲いている状態なのだ。

若い頃から詩に限らず、文章を綴るときは大抵、自分の心の深淵を覗き、底に在る不条理や矛盾や怒り悲しみ悪夢絶望を汲み取り、それを言葉にしてきた。難儀である。

その間に三吾には歯が生えた。


相変わらず激しい夫婦喧嘩、改め夫婦戦争を挟みながらもぼちぼち家族生活を満喫している。

結婚して人の夫となり、子供が産まれて人の親となり、人並みに鮮やかな幸福を齧り、いやあ、人生って捨てたもんじゃないすね、なんてありふれた呑気な顔をして、この社会で暮らしている自分のイマと、10年前の自分のギャップを、たまにフラっと考えてしまう。

大阪の町で乞食を経て、転がりこんだ女にフラれ、最高速度30キロのバイクにまたがり1号線をひたすら、何の当てもなく東京を目指していた10年前の私には野垂れ死にの未来しか用意されていなかっにはずなのだ。それがこれである。

「ひとのlifeはchoiceだよ」と、19歳の頃に、海の見える丘のうえの家に住む年齢不詳のオヤジから言われた言葉はイマも耳の奥のほうで反響している。土砂降りの痛みのなかを傘もささず走っていた気がするが、今はいつだって傘になってやる覚悟である。

つまり、自分の心の深淵を覗き、底に在る不条理や矛盾や怒り悲しみ悪夢絶望を汲み取り、それを言葉にしきたが、これからはこの日常のありあまる幸福も言葉にしなければならない。それが解決法であり、結論とする。春よ来い、はよ来い。