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波と文学

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また少しだけ自由に、踊り始めている気がして、

          



ヤフオクで1円のスニーカーを落札しました山下です。こんばんは、
ご機嫌いかがでしょうか?




詩は歴史に対して垂直に立っていると言ったのは足穂か。
記憶は曖昧ですけど。
それにしても、この家には「ハエ」が多い。
天井や、壁や、私の腕や、テーブルの上に止まるハエの平衡感覚はさぞかしタフですね。
私が毎朝眺めているこの海の果ての水平線も、
天井や壁に止まっているハエの視点で見れば縦や、逆さ。しかし、
飛行するときは足がちゃんと下にあるんだよなハエ。それは重力か、重力の仕業なのか、
不思議です。それにハエはいつ寝ているのでしょうね、
寒い日はどこに行っているのでしょうね。
近頃、手塚治虫の火の鳥を何度も読み返していて、
輪廻転生みたいなものを、しみじみと意識させられているもんで、
たとえば明日死んだ私が、ハエになることを考えると、
死ぬのも悪くないね、なんて心にも無いこと書いちゃう。とか思っちゃう時点で、
ひょっとすると前世の私はハエだったのかもね、まさかね。


近頃はやけに坦々と日々が廻る。


テレビ回線を設置していないお陰か、
インタネットでニュースを見ることも最低限に控えているし、
心がとても平(たいら)なのです。一概にこれが良いことと言えないのは、
自分は、葛藤や、後悔や、日々の虚無感や浮世の矛盾やその憤りのような感覚を、
文学に換えて表現することが過去に多くあったのであって、
心が平な状態ではなかなか、「創る」ことが困難な状況にある。というのも、
30日に蒲生で開催されるイベントに招待されており、
ポエトリーリーディングを一席ブたして頂くわけなのでございますが、
それの準備がまるで“ままならない”というワケなのだ、そんなとき、
人の3倍のスピードで髪の毛が伸びるあの芸術家ならこう言うね、

「それなら、それを詩にすればいい」




この頃、このBlogを書くことを意識しているせいで、
幾分、脳みその使い方も思いだして、まだまだぎこちない心地ではあるが、
言葉が、また少しだけ自由に、踊り始めている気がしてなんとなくうれしい。





ストーブの灯油がもう空になった。

emptyとskyの漢字が同じというのは、

日本語の「好きなところ」の一つである。




今日の夕食は、チキンソテーとサラダ。
白米玄米。豆腐。ハマ家から貰いものの芋の入ったスープ。ご馳走様でした。



さて、久しぶりにDVDで観るか。



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コレだ!というブリーフが見つからない日々

          


朝、風呂を浴びて、
読書する。しばらくすると奥さんが「あー、お腹すいたっす」と言いながら起きてきて、
ちゃちゃっと朝食を拵えてくれる。そして、石垣島の、
ペンギンさんとこのラー油の話で盛り上がる食卓。

イタダキモノのそれを眺めながら、「幾らくらいするのかしらねー」とプライス予想。
奥さんは「三百八十円なら、いつも買いたいね」と言う。
「五百円くらいするんじゃないんすか?」と私。むしょうに気になり、調べてみる。



100gで800yen。



これはもう貴族の食べ物。我々にはまだ早いということで結論。


食後、警察署に、車庫証明発行の手続きに行き、そのあとで借りていたCDを返却。
ついでに私は枝雀師匠の「THE 枝雀」を借りて、奥さんは「相対性理論」を借りた。
山へ水を汲みに行き、帰りにプラッセで夕飯の買い物と、
二階の衣料品売り場を冷やかして、温泉経由で帰宅。小さな雨が降り出した。


今夜は白菜と豚肉のミルフィーユ。
野菜も肉も、鹿児島産は本当に美味しい。ありがとうございます。


月末、奄美と、関東から、友人が来る。
本当に楽しみだ。


部屋の窓から海が見える





だいたいいつも、AM6:30から7:00の間に目を覚まして、

二階の小窓から海を眺めて波を確認する、

部屋の窓から海が見えるというところは、この家の一番好きなところ。

サーファーが一人、浮いていた。波は小さく、

コンディションも良くはなかったのだが、綺麗なうねりが連なっていた。

タバコを吸いながらぼんやりと考えて、入ることに決めた。何も考えずに吸う、

朝のそんなタバコが僕は好きだ。





暮らしはいつだって選択の連続で、何かを「選ぶ」ということは、

別の何かを「選ばない」ということ、しかし、「選ばない」というだけで、

別に「捨てる」わけじゃない。それに人生はきっと短い。

あの日、僕が選ばなかった「選択肢」を、今日の僕が選ぶのさ。

それだけのこと。




ようやく人生が楽しくなってきた、近頃、そんなことをよく思う。



とあるドキュメンタリー番組の中で、

空中のカメラが海の中央を泳ぐ亀を捉えて、

ナレーターがその亀のことを「大海原の旅人」と呼んだ。



なんだ、僕らもまるで同じじゃないか、と僕は思った。



少なくて、ちょうどいい。

       





底のぬけた夜が、
暗闇いっぱいに星をこぼしたような空から吹く、
ゆるりとした風は、月から来ている気がして。
明日の朝もきっと、朝露が庭先のクモの巣を濡らすはずなの。
私たちはね、知らない。なんでも知ってるような顔をして、
クモが巣を張るときの、糸の順序を知らない。なんてこと考えて、
次の休みを指折りながら待っている。
ガンジガラメの浮世から、一糸づつ、ほぐしてゆく、抜けてゆく、散らばってゆけ、
人との出逢いで成長出来るとすればさ、
今の私はなるべくゆっくりと成長したくて、出逢いは、
少なくて、
ちょうどいい。



【下駄貫 勘平 1945-1980】






珍しい石でも、拾い集めて透明な、
小袋に入れて売ろかしらん。適当な名前付けて



【山下冗談 1981~】

 


    

 

Kissの季節

             

昨日出会った、キスを130匹釣り上げてウハウハしていた爺さんが、
今朝もまた昨日と同じ場所でウハウハしていた。
寝起きに、二階の窓から浜辺の爺さんを見つけた私は、
そのまま外に出て。差し入れの缶コーヒーを買い、爺さんのもとへ。
早い話が、弟子入り志願だ。


聞けば、
師匠はバスの運転手を生業として定年まで東京の街で暮らしていたとのこと。
定年後、故郷であるこの辺の町に帰って来て、
今は好き勝手に暮らしていると言いながらウハウハしていた。
さすがは師匠、身の上話をしながらもキスを次々に釣り上げる、
今日もすでに50匹を越えていた。

 
それにしても、この辺のジジィは皆、
「ここいらで俺のことを知らないやつはいねえ」というようなことを、
誇らしげに語りたがる。
師匠然り、我が家の駐車場の大家であるオータさん然り、皆、
同じようなことを言うのが不思議。


話がさっそく逸脱したのだが、
目出度く弟子入りに成功して。師匠から釣りのイロハを教わる。
仕掛けの作り方から、ポイントの見極め方、
釣った魚の捌き方まで丁寧に、ありがたや。
「ほれ、練習してみれば」と、
渡された竿に餌をつけて投げてみれば、早速釣れた。

なんだ簡単じゃねえかと思った。そして、
御裾わけをいただき、昼にキスの刺身、夜は天麩羅、幸福です。



別れ際に、師匠から電話番号を渡されて。
ウチに遊びに来なさい、と言われた。

「次は、美味しいハンバーグの作り方を教えてあげるから」とのコト。


魚だけじゃないんだぜ、
という師匠からのサイレントメッセージを、僕はしっかりと受け止めました。