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波と文学

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晴れている日に長靴。



溢れているな、溢れている。今更感も大いに抱きつつ新春の1月ってこともあり、まだまだフレッシュな心地もあることだし、ってゆーか溢れ過ぎだし、もはや零れちゃってるし。
いっそのこと、今の自分にとって本当に本当に必要な情報とは何なのだろうかと考えて、その上、その「必要」という概念すら、何の為の必要なのかを、もう一度整理することに決めた。つまりFacebookアプリをアンインストールしてTwitterアプリをアンインストールしてハフポストもロシアの声もまとめサイトも眺めるのをやめてみる。断食であり、断捨離のような気分である。イスラム国の動向は勿論、桜島のマグマ具合や、アジアカップの結果も気にはなるが、それらが今の僕にとって、僕の暮らしにとって、この一瞬にとって、本当に必要かどうかを問われると
正直微妙なところなのだ。犬を飼ってもないのに犬小屋はいらない、ギターを弾けないのならピックは何の役にも立たない、晴れている日に長靴は歩きにくいだけなのだ。なんつー実験をしばし、新しい年だからさ、なんとなく。

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滴に映る月の顔を見ろ。


写真家であり、詩人でもある友人に誘われて、鹿児島詩人協会が毎年発行する「鹿児島県詩集」に僕の詩も載せてもらえることになった。と、書けば、まあ!なんて光栄なことでやんしょ!こいつぁ春から縁起がいいねえ!さすが漁村の天才!なんつー気がしないでもないが、どうやら手前で勝手に詩人を自称して後は金さえ払えば割と自由に掲載させてもらえるようなので浮かれるほどのことでは無い。とはいえ、自分が詩を書く時は言葉にすることを意識して文字というよりは音をイメージした創り方をしている。大勢の詩人が綴る言葉に並んで一冊の本の中にそれが収まったときに、どんな味や色を生み出しているのかがとても興味深いのである。


只今、東京時代の友人が我が家に滞在しており、丁寧で、美味しい料理を毎晩振る舞ってくれている。巷に溢れた小奇麗でベジベジしていてヘルCが取り柄の女々しい料理とは一線を画す舌と胃袋のスタンディングオベーションを毎晩。年末年始を越えた蛸業は徐々に平熱に戻りつつあり、休みも従来通り貰えるお陰様で友人と遊べる時間を多く取れることが有り難い。とはいえ、携帯電話にメモされた一週間の予定を見てみると割と牛牛である、自分で詰めたスケジュールとはいえコレについてはモォ不服である。僕は誰よりも暇を愛している。大いなる暇を持て余したい。最近、忙しいんスよ~なんて言うと「ありがたいことですね!」なんて返すヤツらが一定数存在する。コイツらは頭はおかしいんではなかろうか、脳に小蝿でも埋まっているのかと眉間に皺を寄せて割と真剣に思っている。労働であれ私事であれ、忙しいことが有り難いわけがないのだ。よく考えてみてくれ、日がな何もせずにのんのんと地球の空気だけ吸って口笛でも吹いて、それで金が空から舞ってきて贅沢でなくても人並みに暮らすことが出来れば、ありがたいことですね!つまり、

僕は君が思っている以上に、

何もしたくない。
コタツで寝転び本を読み、
飼ってもない猫の名前を読んでみたり、
妻の突拍子もない誰かの悪口に耳を塞いだり、
作りかけの詩について、考えていたいだけなのだ。




ハハハハハハ、
さもなくば、タフであれ。拡がれ、届け。
伸びてゆけ、集中しろ、
執着しろ、筆を奔らせろ、脳髄を沸騰させて、狂え、隠れるな、大袈裟に笑え。
そして、

夜の雑草が静かに落とす滴に映る月の顔を見ろ、2015年1月。



風が吹いていないことを知る。



クリスマスから続いた蛸屋の繁忙期がようやくひと段落つき、2014年を終えた、と思った頃には2015年が5日ほど過ぎている暮らし二年目。未だに慣れず、へれへれである。だいたい人が多すぎる。君たちはいったい何を考えているのだ、と地下駐車場を行き来する人間を眺めながら思う。ロクなことを考えていない連中ばかりに違いない、皆、似たような背格好である。よくわからない素材のダサいサンダルのような靴のようなものの偽物のようなものを履いている。また、子供が泣いている。助手席になぜか犬がいる。爺さんが婆さんを怒鳴る。値上がる。田舎のくせに24時間稼働するスーパーセンターに巣くうハトの糞にまみれて、羊も戸惑ってやがる。祝。館内放送の「あけましておめでとうございます」が頭上で響いてうるさい2015年がはじまった。今日の月はとても美しい形をしている。波の音で、風が吹いていないことを知る。

なみだのうた

ついに世界でいちばん美しく、力強く、神秘的な音を聴いた。

音色と呼べるほど鮮やかではないが、
音楽と呼びたくなるほど楽しくなる音。



それでも、世界に希望を、

すべての命に、全開の愛を。



綺麗じゃなくても美しい。

目の前、30cmの位置に居るのか、それとも、テーブルの向こう側に居るのか、その声は明らかにテーブルの向こう側から聞こえるのだが、その顔面はすぐそこにある。
遠近法云々というより、もはや空間全体を歪められている気がして妙に、心細くなってしまった。

友人の挙式に参加して、その二次会で出逢った顔面のおおきなおおきな男のことである。



血色の良いそのおおきなおおきな顔から発せられる言葉は明朗で澱みなく痛快。相手を選ばずに臨む態度は横柄で大胆。心地よい鬱陶しさ、その中で垣間見せる一瞬の寂しさ。あれは酒のせいなのか。ひさしぶりに愉快な人と出逢った。綺麗ではなくとも美しい人間の様。


名前を聞けばハルオと名乗った。


初対面ではあったものの、昔から知っていたような知りたくなかったような、他人のような友人。


おいハルオ、読んでるか?


ここに散らかっている言葉が僕の暮らしであり、今、僕が過ごしている世界の確かな断片なのだ。
あれから随分年を取ったものの、変わらずに変わり続けていることを、幾らか感じ取ってもらえれば幸い。微かに欠けた月が今夜も海面を青く照らしている、耳を澄まさなくても波の音が聞こえる。冷めた風が裏の畑の長く延びた草を揺らしているよ。
いつか遊びに来て呉れよ、また逢おうな、だからお互い達者でな。家族によろしく、ほいじゃ


顔、デカすぎるやろ





追伸

君からのありがたい言葉が、疲れた身体に精気を灯し、筆を立たせてくれたよありがとう。感謝します。