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よぅし、毎日、綴るぞぅきゃきゃきゃ。という大いなる意気込みを持って指先を走らせたつもりだったのだが二日続いて三日目で早くも途切れてしまうというこの継続性の無さ。嗚呼。まるで私の人間性を表したかのようなその意気込みのショボさ。もう本当にヤになっちゃうわん。とはいえ相変わらず、日々はぐるぐるとルーティーンを繰り返している。少し若い頃はこの「ルーティーン」というやつが大嫌いで、例えばアフリカの人知れぬ村にありそうな均等性のない乱雑な音楽的日常を求めていた気もするが、今の私は、日常の中のたまの“リズム崩し”を愛しみながら、繰り返しの日々を大切にしたいと思っている。寝る時間、起きる時間、海を歩く時間、働く時間、飯を食う時間、植物に水を与える時間、文章を書く時間、本を読む時間、ドラクエをする時間、妻の悪ふざけに付き合う時間、星を見上げる時間、全ての繰り返しを、丁寧に繰り返したいと思っている。水筒に入れた珈琲を片手にてててと散歩した今朝の海も本当に綺麗だった。
白い砂浜が、まるでどこかの少女が見ている夢のようだった。私は午前10時のぽわーんとした顔のまま珈琲をすすり、煙草を巻いて、火をつけた瞬間えげつない砂嵐に見舞われて「いたたたたたたたた!」と言って涙目で退散。どこかの少女が見た夢はただの悪夢だった。珈琲の中に漂う無数の砂粒を見ながら、今日もツイてねえな、と溜息を吐き、肩を落とした。
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休日、朝日に抱かれた海辺を一人でペロついて居ると見知らぬ老人から「やあ」と馴れ馴れしく声を掛けられたので嬉しくなって私も「やあ」と御返事しました。すると、老人は唐突に私の名前を呼んだのです。予想していない展開に驚き、「どなたですか?神様ですか?」と私はつぶやいた。
そんなもの当然神様なんぞであるわけがなく、それは自宅の裏手に住むバツイチ老人の「大動脈小五郎さん(仮名)」であった。大動脈小五郎さんは以前、回覧板と自治会費の回収でウチに来たことがあり、初対面ではないのだが、その時の印象とまるで違い、戸惑った。「え、別人みたいですよ神様かと思ったもん、なんだよ大動脈さんかよ、こないだもっと怖そうな顔してたじゃん、なんなんだよ。超優しそうじゃん」と、緊張途切れて随分と馴れ馴れしい私。それから、大動脈さんと20分程度立ち話をした。バツイチ老人なだけあって、背負う過去の辛さの量が一般老人の1.5倍あるせいか、とても優しい目をしていた。別れて、帰宅後、妻の実家から届いたばかりの「たまねぎ」に、慰めの想いを込めて、差し入れさせていただいた。
夜は、大都会・鹿児島市まで行き、大尊敬をしている(※わざわざ書くまでもないが「尊敬」という言葉を軽々しく使えるほど私は愚かで青くはない。私が使う「尊敬」の対象は、この世にせいぜい一人か二人しかいない。)つまり、大竹秀信氏akaぢゃんさんは、私にとって、そんな人間の一人なのだ。今夜、その大竹さんのワンマンライブがSRホールで開催された。それに関しては、私の拙い言葉で云々書ける自信がないので、記録せずに記憶で留めておく。まさに、ぢゃんさんの偉大な人間性がおっぴろげられたようなLiveだった。その温もりと、強さと優しさと穏やかさに、私の邪悪な心が少し明るくなった気がした。
世界中の全ての、
石ころのような私のような友達よ、大人になった少年たちよ。
死ぬまで、
転がり続ける石であり続けようぜ。
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近頃、わざわざタコヤキ屋に私を訪ねて来てくれる友人が増えたように思う。しかし、これは大いに心外であり、憂うべき事態とも言える。そもそも人知れず、浮世の雑踏や雑音や一瞬の流行りや次の瞬間の廃れの恐るべき速度から距離を置き、こっそりと、ゆっくりと、淡々と、暮らしたくてこんなに侘しく空しい漁村の端に妻と二人で静かに肩を寄せ合ってひっそりと生きているのにも関わらず誰誰に聞いたとかヌカしやがって阿呆面で、私の間抜け面を冷やかしに来やがる輩め、どうもありがとう。そんなとき、本当は阿呆面とは一言も喋りたくないのに、ついつい昔のよしみというか、持ち前の溢れ気味のサービス精神がたわたわと私の心をくすぐり、期待通りのお調子者を演じて阿呆面を喜ばせてしまう。だからこの際、言わせてもらう。週末の忙しい時間には絶対に来るな。浮世の民衆は貴様が思っている以上にタコヤキが好きでタコヤキに焦がれタコヤキを欲してたまらないのだ。そんな連中の為に朝から右手マッハで私は文字通り腕をふるっている。このGWは死ぬかと思った。だから、せっかく来やがった貴様を喜ばす為のモチベーションが著しく低下している可能性が高い。ですので平日に来てください。平日なら近頃はうーーーーーーーんと暇なので十分に遊べます。腹抱えるほど面白い話を披露する自信があります宜しくお願いしますBaby。大嫌い大嫌い大嫌い、ダイスキ。
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逢う機会が多くなくても、
住んでいる場所が近くなくても、
心のどこかで糸電話のように繋がっている友人が居る。
奄美から、文字のない手紙が小包で届いた。
丁寧な所作で「元気でやってるよ、そっちはどうだい?」と、書いてあった。
さっそく返事を書こうと思っている。
ありがとう、
なぜか少し優しくなれた気がした。
R STANDARD blog
近頃とても幸せそうな彼の綴る言葉は、
まるで今夜の海のように静かで心地が良いのです。
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海辺でぬるい風に晒されながら遠く霞みの果てにある甑島を眺めていると、
まったく知らない爺さんがまるで昔からの馴染みのように話し掛けて来て、
終わりの無い世間話が始まったのだがそんなこと、ここいらではよくあることだ。
冥土の土産に付き合ってやるのが、まっとうな青年の優しさ、そうして、
爺さんも爺さんになったに違いない。その後、散歩をゆっくりと堪能して帰宅して本を読む。
と、同時に風呂釜に湯を張り数分を待ち、本を片手に湯船へ。
悠々と読書しながら身を清めて温めて水と言葉の惑星を愉しみ、
風呂から上がり珈琲を淹れる。妻はまだ夢の中に居て。
引っ越して半年が過ぎたのだが休日の始まりはいつも変わらない。
僕は随分とこの暮らしを気に入っている。
妻も一見気に入ってはいるようなのだが、
喧嘩のときにたまに「やっぱり私は街で暮らしたい」とごねたりもする。
そんなときは穏やかに笑い、
抱きしめて頭を撫でてやれば済むはずなのだがついウッカリこちらもムキになってしまい、
売り言葉に買い言葉で西方は地獄と化す。
これじゃ駄目だなといつも思う。
どこに居ても仲良く出来るし、
どこに居ても喧嘩してしまうのが夫婦なのだ。愛絡まって。
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