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波と文学

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WALL×PAINTS-ヤポポ族~鳥の羽根の髪飾り編~-

           







4月6日、キャパルボSRホールで開催されたイベント【WALL×PAINTS】にて、

暗黒ニラと山下冗談のコンビ「夜明けの虎」+ペインターのjuntoki氏で、

3人遊戯をさせていただいた、通称「ヤポポ族~鳥の羽根の髪飾り~」。







             





このイベントの出演が決まって3人で打ち合わせをした時点で、この遊戯が上手くイクことは直感的に間違いなかったのだが案の定上手くイキしてやったり。髪の長い髭面の怪しい男がライトの中、白いキャンバスに何を描くのか、その一点に注がれた群衆の好奇心と微かな潜在的恐怖心のような塊を暗黒ニラの音と私の詩で掻き乱したり抑揚させたり。演出としてのカウントダウンも、演者3人のそれぞれ勝手なようで絶妙な重なり方も、ライブ後にバックヤードでjuntoki氏と子どものようにはしゃげる程、気持ちよくこねて、丸めることが出来たと思う。



主催のGLARE SOUNDS PROJECTION坂口氏、SRスタッフのみなさん、

今回誘ってくれたjuntokiさん、どうもありがとうございました。









個人的には今回「想像力でどこまで飛べることが出来るのか」をテーマに詩を綴り、

最深と最果てまで群衆を連れてゆくことを考えたのだが、それが成功したかといえば、

65点である。いや、72点である。いや、正直なところ、59点である。

SRホールを伸縮自在の宇宙船に替えて、

会場全体を「言葉」でそこまでもっていくという壮大な目的があったのだが、

いつも通りの面子と、

少数の新たなナイスガイ&ラヴリーガールにしかそのイリュージョンを届けることが出来ず、

会場の奥の方に佇む「ひょっとこ面の男や、スケベそうな顔をした女」は、

ぐったりとダルそうな様子で酒を煽りながらたまに股間を掻いていた。ぐぐぐ。

やはり、ステージでやるからには、そこまで届くようなイリュージョンを展開してさ、

ひょっとこ面やスケベが帰宅した後に、自宅のリビングで、

なんとなくまだ夢幻から抜け出せていないような錯覚をその脳髄に打ち込みたい。



そうするとやはり、奇抜な詩の読み方で、素っ頓狂な動きで、或いは破壊的な情熱を持って、

ということではなく、日ごろの暮らしの中でどこまで自分が詩と隣り合わせでいられるかということなのだ。

ストイックという言葉を自分自身に対して使うことはなんとなく間抜けであり、

修羅の道という筋肉質な表現は時代遅れな感じもして。

相変わらず自分の頭の中で、心の中で、

視界の中で、まばらに点在する幾つかのインスピレーションをしっかりと捕えて、

それを言葉に変換する作業を丁寧に続けていくしかない。嘘は簡単にバレる。



詩とは所詮、言葉なのだ。ブラウザ上や、紙の上で寝そべるそれとは違い、

ポエトリーリーディングの言葉は音楽と混ざり合い、もっと自由になる。

一回のイベントで幾つの詩を読もうと、伝えたいテーマは毎回一つしかない。

「業の肯定」と言ってしまえばおこがましい気もするが、

人間の愚かさや哀しさや狡さや優しさや愛しさを全て受け入れた上で、

誰もがすでに知っている大切なことを、忘れがちな想いを、

言葉と音と、絶対のユーモアも持ってその場に居る群衆全部の心に撃ち込みたいのだ。

真理をシンプルに。まるで園子温の映画のように、立川談志の落語のように、手塚治虫の漫画のような。









そういえば昨日は深夜に帰宅して、そのままベッドに直行した。

風呂に入らずに寝たのは久しぶりだった。身体がむずむずする気もして、あまりよく眠れなかった。

起床後、ただちに風呂に浸かり、妻と日課の海岸線を散歩。帰宅後、うたた寝て、読書。

携帯電話でfacebookをねろねろと眺めていると、

友人で、映像カメラマンの脇村亮太がまたプロフィール写真を変更していた。

イカした奴だぜまったく。









            





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文学トーク「東野圭吾」についての感想。

           



数日前、店から持って帰って来たタイ焼きを、食べながらこれを書いている。3,4日、
もしかするとそれ以上経っているかもしれない。 胃腸弱いくせに、無茶しやがって。





さて、今月も先月に引き続き二つのイベントで連続して遊ばせてもらった。
一つ目はマルヤガーデンズで開催された「古書目利き展」の企画のひとつ「文学トーク」
つばめ文庫の小村くんと、
詩と、サンドイッチ。山下によるトークイベント。





この写真は自宅そばの海で、妻に撮ってもらったのだがつばめ文庫・小村君(写真右)の、アイドルらしさがやけに眩しくで、嫉妬している僕の表情がよく出ている。演出抜きでこのポーズ、この表情、ジャケットの裏地がまた素敵。

写真でもわかるとおり今回のテーマは超人気作家「東野圭吾氏」。
いつもお世話になっているシティ・ライツ・カンパニーの松下瑞樹氏撮影のもと、
今回も「BookBook TV」の収録も兼ねさせていただいた。

今回は、東野圭吾特集ということで、
まったくもって僕の守備範囲ではないため、
基本的に小村くんにおんぶ抱っこさせてもらうことに決めていた。
しかし小村くんもこう見えて実にひょうきんで、信じられないほど天然なのだ。
完全におんぶ抱っこさせてもらっては二人とも沈むと勘ぐり、
少しだけ予習をして本番に臨んだのが少しだけ奏功してホっとした。
とはいえ、小村くんの本に対する情熱と愛情にはやはり脱帽。
根っこが、本当に真面目なんだよね。作品については知識ではなく、愛で語るお人なのです。
ということで、イベント中に発表された彼の東野圭吾Best3をここに記しておく。


3位・魔球(講談社/1991年)
あらすじ:9回裏二死満塁、春の選抜高校野球大会、開陽高校のエース須田武志は、最後に揺れて落ちる“魔球”を投げた。すべてはこの一球に込められていた…。捕手北岡明は大会後まもなく、愛犬と共に刺殺体で発見された。野球部の部員たちは疑心暗鬼に駆られた。高校生活最後の暗転と永遠の純情を描いた青春推理。

2位・パラレル・ワールド・ラブストーリー(講談社/1998)
あらすじ:親友の恋人を手に入れるために、俺はいったい何をしたのだろうか。「本当の過去」を取り戻すため、「記憶」と「真実」のはざまを辿る敦賀崇史。錯綜する世界の向こうに潜む闇、一つの疑問が、さらなる謎を生む。精緻な伏線、意表をつく展開、ついに解き明かされる驚愕の真実とは!?傑作長編ミステリー。

1位・天空の鉢(講談社/1998) 
あらすじ:奪取された超大型特殊ヘリコプターには爆薬が満載されていた。無人操縦でホバリングしているのは、稼働中の原子力発電所の真上。日本国民すべてを人質にしたテロリストの脅迫に対し、政府が下した非情の決断とは。そしてヘリの燃料が尽きるとき…。驚愕のクライシス、圧倒的な緊迫感で魅了する傑作サスペンス。 


小村くんとの文学トークも三回目にして、ようやくその場の雰囲気を落ち着いて観ることが出来、
トーク進行の抜き差しも遊べるようになってきたような気がする。とはいえもっともっと精度を高めて、
その場に足を運んでくれた方々が無茶苦茶楽しめる小一時間にしたいと考えている。
その辺の攻略と調整はもう個人的には、トーク自体の良し悪し抜きに徹底していくつもりだ。

 このイベントの醍醐味は、
作家について、その作品についての新発見、再確認は勿論のこと、
「僕と小村くんが。本当に仲良さそうにイチャついているところを皆で温かく見守ってもらう」というところにある。同い年で、本が好きで、タイプの全然違う二人が公然で堂々とイチャつくのだ。それを見て、なぜか幸せな気分になってもらえれば幸い。笑

次回は八月に、近代文学館でトークイベントをやらせていただきます。演目は「宮沢賢治」
こちらの方も、おたのしみに。



Timelessからcocoperiまでのこと。

             




3,10.tabinotochu@timeless.

ひとつめの詩を読み終えて、完全にノってしまい。一人踊りのようなことになってしまい反省している。
しかし、この日は朝から虫歯が悲鳴をあげていたのだが
朗読中のアドレナリンで痛みを掻き消すことが出来た。ノッテるね、と思った。
その場の空気も温まっていて、ちょうどいい状態。

ニラのつくる音楽も詩なのだ。
人をおちょくったような彼独特の語感センスが、そのまま音楽になってる。

tabinotocyu,それぞれの演者が歌や楽器や声でメッセージを放つのだが、皆、バラバラなようで、
ものすごく似ていた。馴染みの友人が多く居て、楽しかった。
この日は、自動販売機のスロットゲームで当たりをひいた、しかも昼と夜、二度も。
こんなことってあるのだな。ノッテいた。


3,11 日進月歩@cocoperi.

一度、帰宅して仮眠をとり高速道路を妻と二人で北上。博多を目指す、
道中、水俣で寄り道して昼食。美味しい天麩羅をぺろぺろペロリ。

17時が過ぎた頃、目的地に着いて、主催のたむ君と再会。
二度目の出会いなのだが、ずっと前から知り合いのような気がしている。
高石純二さんに、隣りでギターを弾いてもらった。
突然のお願いを、快く引き受けていただき感謝している。
キャンドルを灯して、あれから3年。Liveの中でそれぞれの3年を観た、
弦の震えと声で創る音の魅力と、cocoperiのポジティブでゆるやかな空間を、
たっぷりと堪能。それぞれの現在値と、矢印の方向を再確認して共有。
それにしても、南の侘しい漁村から、
他所行きのジャケットを羽織りノコノコと都会へヤッテ来た誰も知らない詩人を、
温かく受け入れてくれて、ありがとうございました。






ライブが終わり、
知らない人たちばっかりで、さいしょに鹿児島来たときみたいだね、
と、妻が言った。そういえば、そうだった。
あれから3年。楽しく暮らしている。



水を汲みに山へ





水を汲みに山へ、その途中の浜でいつも通り“はへん”を拾うのだが、曇り空であれば、見つけるのが難しい。はへんに光が反射していないから、見つけにくい。そのとき私は、太陽がのぼって、朝が来るんだなあと思った。特に人通りの少ない夜の山道を車で走っていると痛感する。ヘッドライトが照らしている場所が一瞬明るくなるだけで、その前もその後も、その場には、暗闇がこんこんと存在するだけなのです。真っ暗な世界が、太陽に照らされている間だけ、明るいのです。何を言ってんだオレは。3月、

3月が巡るたびに、思い出す一日がある。
それは、多くの人にとってそうであるように、自分にとっても本当に意味のあることで。
忘れられないし、忘れたいこともある。この時期に、幾つかのイベントに呼んでもらえて、
ポエトリーリーディングをさせてもらえるということは、とてもありがとうございます。

自分の言葉をぬらりと掴まえて、炸裂させたい。現在の、日本の、ビートニクの最先端を。



LIVE IN THE MOMENT.

           


            





1月も、半ばとなればヒマなもんで、勝手な手持無沙汰が寂しい気もして、
夕方にはさっさと仕事をあがらせていただいき、飄然とまた海へゆく。 
木片、ガラス片、片方の草履、絡まる釣り糸の集合体。
貝の死骸、珊瑚の化石、砂に映る鳥の影、退屈な波の音、朽ちたプラスチック、腐れた発泡スチロール。
子どもの頃に覚えた歌、自分の写っていない写真、歪な形をしたビー玉。君の眼、
僕の声、魚の背骨、平べったい石。鉄クズ、バレやすい嘘、光る砂粒、濡れた真実。
悠久のプラットホームに流れ着く過去と、カタチと、交錯するイマと。
LIVE IN THE MOMENT,物語はここにある。