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波と文学

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こころおだやかに。なんつって



粘着性の強いノイジーな感覚。それは怒りの感情に近いのだが、「キレる」というのが強火だとすれば、弱火のうちから、その時点で、それはもう既に自分にとって、自分の心にとって。心というのか、頭というのか、肉と皮に包まれた、自分の内側の真ん中の形のない、霊的なソレね。それにとって、もっとも邪魔であり毒であり、インスピレーションを妨害するのが冒頭に書いている「粘着性の強いノイジーな感覚」なのよね。有害な添加物は何も食べるだけではなく、目や耳や心や頭で感じることも出来るから、厄介である。なので、自分はなるべく怒らないようにムカつかないように細心の注意をはかっている。まあ、ムカつき始めたらキリがないわけで、三十余年連れ添っている“自分”の短気をよく知っているからこそ、と言える。心、穏やかに、なんつって文字にすれば簡単で単純なことに思えるがそれは「怒る」ことよりも当然、複雑な思考・感情回路を経て辿りつける場所にある。今夜、うどん屋で食べたうどん、少し硬いし天丼のタレ、多すぎるし濃すぎるぜ、心、穏やかに。

まったく。今ごろ、どこ歩いてんだ馬鹿。せめてひとこと「Good Bye」くらい置いていけよ。それでも僕は「ありがとう」と言いたかった。

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うみべのちいさなおんがくかい01×junnos(感想記)

今回のイベントを知りつつも、
のっぴきならない理由で来ることが出来なかった全ての友人諸君と、
知りつつもさらさら来る気のなかった猿へ



午前11時直前に布団に潜り込んだのだが、【うみべのちいさなおんがくかい01】昼の部の始まりは確か14時だったはずなので到底、起きられるわけがあるまい。なんぴとたりとも、我が眠りを妨げてはならない。と、寝室にやんわりとしたワガママと魔法をかけてから夢におちた。

案の定、起きたら15時前で、ででで、こりゃ顰蹙を買うな、と覚悟した。おまけに雨だ、二階の窓から見える海の波も激しく、じきに風がやってくることも予想できた。「本屋、或いはたこ焼き屋」で出店予定の旨を皆々に伝えてはいたものの、本の天敵は雨であり、たこ焼きの天敵は風である。ぬぬぬ。八方塞がりたぁこのこった。なので、手ぶらで行くことにした。
一つ買った顰蹙が2つ3つ増えたところでその体積は変わらぬものよ、本当にごめんなさい、本当にごめんなさいと、頭を繰り返し下げる練習をしながら海辺をとぼとぼ食堂に向かう。予想以上の人々がすでに海辺に集まっていて、あ、嬉しい。と、思いましたやました。
ジャンベ隊の鼓舞がこだまする雨降りの海の家と風に飛ばされまいと鬼の形相でテントにしがみつく出店者の困惑が相俟って、僕は今日が愉快な1日になることを早々に確信した。



そして、夜の帳が海辺に垂れる。



赤い自治会長"山下冗談"の出番は最初。暗黒ニラもハマスもナシの独り舞台、馴れたもんで特に緊張はなく、気負も不安もありゃしない。なぜなら此処は西方なのだ。僕は、生まれて初めて実感する【居場所】の真ん中に立っている。生まれてからずっと、何度引っ越したのかわからないほど流転する暮らしを経て、ようやく"孤独感"のない場所に辿り着いたのだ。その点において、
妻と友人諸君に改めて感謝したい。
自分の生い立ちとは縁もゆかりも賑わいも活気も未来もない平凡以下の侘びしい漁村で、なぜだか僕は生きる気力を吸収していて、しっかりと、自分の足で立っていることを実感している。なんでだろうね。何はともあれ、【うみべのちいさなおんがくかい】夜の部が始まり、

僕は赤い自治会長としていつも通りの挨拶をぺぺぺと済まし、詩とも物語とも呼べない奇妙な文章を1つか2つ読み上げて、新作【春の蠅】を朗読。そして、【僕の名前THE MOVIE】上映の流れ。(この映像作品の編集作業にギリギリまで時間が掛かり、冒頭の午前11時就寝に繋がるのであーる)





今回、スタジオ田(た)の協力を得て作り上げたショートフィルム風「視る詩」の御披露目は最高の空気の中で出来たと感じている。「暗黒ニラの音楽」と「スタジオ田のカメラワーク」と「喫茶BUNKERでの録音」と、「故郷の風景」と、山下冗談の詩。この五つが共鳴して仕上がった映像として、現時点の傑作である。
(とはいえ、個人的に見れば、見るほど随所に微かな不満も抱く。音に合わせる言葉のタイミングの微妙なズレや、言葉の強弱のバランスの悪さは特に歯痒く、地団駄を踏んでいることも記しておくことにする。ケッ) それはさておき、
この「視る詩」が出来上がる過程で、"地元"の人間である自分が地元の見知らぬ人間と出逢い、繋がりボケてツッコミ、そうして創造されたモノの美しさや楽しさといったらないね。ましてや絶対的カルチャー不毛地帯との悪名名高い薩摩川内市でそれが出来るこの喜び。bunkerのユーサクさんにはこの場で改めて、文字としての感謝を伝えておきます、ありがとう。これからも宜しく。


今回の【うみべのちいさなおんがくかい】は大トリである【junnos】君を迎えるために企画されたイベントではあったものの、協力してくれた演者の西聖夜と泰尊、それにシークレットゲストの川邊くんの舞台馴れした技量と魅力と盛り上がりが本当に、鮮烈だった。各々のスキルは勿論、”音楽的無頼派”とも言えるそれぞれの魂の表現が見事に繰り出されていて、海辺の小さな家が大きく揺れていたのは錯覚ではない。その辺の盛り上がりについてはjunnos君のblogでも綴られているのでコチラをどーぞ。http://ameblo.jp/junnos-2014/entry-11996834928.html

とはいえ、やはり毎日、日本のどこかで家族と共に唄い続けている男のパフォーマンスは尋常ではなく、Liveを観ている人間を皆、次々と踊らせる風景は圧巻だった。全てをひとつにする歌の力を見せつけられた気がした。彼は今夜もどこかで唄っているのだ、彼の存在をチェックして、もしも君の住んでいる町に来るのであれば是非、足を運び体感してみるといい、さすらいの歌唄いのリアルで、陽気で、力強い歌声とそれを包む観客の熱気を。


みちよ・ろくたん食堂で開催されるイベントは回を重ねるごとに人足が増え、その評判も、噂も、熱を孕んでいることだろう。それらは、みちよ食堂を切り盛りする徳永一家の完璧なチームワークと、ろくたんの名脇役な働きっぷりと、最初から最後まで圧倒的にふざけ抜くチアフルマークまことさんの太陽みたいな存在があってこそ。ありがとう、いつもいつも。
そして【うみべのちいさなおんがくかい】の主催者であるハマス&ショーコ、出演者の仲間たち、告知してくれた大勢の友達、わざわざ遠くからひょこひょこ出掛けて来てくれた親愛なる目撃者の皆さん、ありがとう。これからも僕らはこうして陽気に愉しく暮らしていこう。次は誰と出逢い、再会して愉快な夜を過ごせるのだろうか、ぬへへへへへ、と今夜も僕は阿呆の顔して笑っている。すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい。それが愛ってもんだろう。

僕の惰性から昼の部に出店しなかった御免なさいを込めて、
これにて、読みにくくも愛に溢れたこの感想記を終わりにする。Thanks.




この日の最後にみんなで撮ったこの写真。見て、みんな阿呆のように愉しそうに笑ってる。最高じゃないか。【撮影・スタジオ田】

うみべのちいさなおんがくかい 01



明後日である。

数年前にyoutubeで見て、うへえ、おもろ。と、
感激したjunnos君がひょんなことから侘しい漁村で歌を唄ってくれることになり、とても喜んでいる。私も、18時から始まるLiveの最初でポエトリーする予定なのだが、何を読むかいまいち決めきれない状態のまま、ついに今日を迎えてしまっている。ぬひゃあ。
地元の人間「スタジオ田(た)」と一緒に作った映像作品は未だ未完成ながら、まずまずの感触を得ている。私が今回のライブを迎えるうえでいつもより随分リラックス出来ているのは、完全にコイツのお陰であると確信している。【傑作 僕の名前】の映像化は大変嬉しいことである。Liveという“一瞬”の空間を漂い、刹那に消えていく言葉(文字)を映像の中に表わすことで、聴覚と視覚、その両方に詩と音を「残す」ことが出来る。僕がやりたい表現は、おそらく、もっとサーカスを意識している。サーカスってずっと楽しいよね。子供の頃に一度観ただけなのに、その記憶が真空パックされて永遠になっているから、耳を澄ますたびに踊る心が真ん中にあるのね。

ギタリストやDjを伴わないライブでは、いつからか、始めに先人の詩を朗読した後で、自分の詩をヤルのだが今回は【草野心平さん】の詩を読もうかな。と、それはもう、決めている。過去には敬愛するブローティガンの作品を何度か、あとは石川希代子さんの詩集「魔」より【田舎】という詩も読んだ覚えがある。そういえば、パウロ・コエーリョの【星の巡礼】の冒頭文も読んだりしているから詩に限らず気に入った一節を読ませてもらっている。ややや、ありがとう。





さて、どうしたもんかね。


ぬぬぬ。



DON QUIJOTEな月曜日。



休日、ということで午前は風呂にゆっくりと浸かる、木酢液の香りが肌に染みつく。洗濯。皿洗いは、面倒になり後回し。12月のキャンドルの制作現場の片付けを少しだけして少しだけ残して、後回し。階段を箒で掃き、廊下も履き、畳に掃除機を滑らす。二階の窓から海を眺める。誘われた気がして散歩。野良猫の鳴き声を真似ながら、海鳥が水面に頭から突っ込むのを何度か見た後、自販機で地元養鶏屋の電子玉子(300円)を購入して帰宅。妻に卵かけ御飯を用意して、妻が美味しそうに食うの眺めているうちに俺も腹減り俺の分も割る。そしてまた海に行き、階段に腰かけて波を眺める。乗れそうな波がぼちぼち、手招きされているようにも思えたのだが、北西の空に雨雲。嗚呼、と呟いて帰宅。締め切り当日の妻に話し掛けると余計な戦の火種になりかねん「頑張って」とさりげなく声を掛けて二階で昼寝。夜になり、阿久根の焼き鳥屋へ。隣りに座った田舎銀行員の小僧のセンスのない話題と声色と大袈裟なリアクションにストレスを抱き、串で自分の太股をスローテンポでつつきながら得体の知れない念仏を唱える。帰りの車の中で「しょうもないヤツにああやっていちいち引きずられるな阿呆」と妻に耳の痛いことを言われたからカーステレオのヴォリュームを少しだけあげた【DON QUIJOTE / eastern youth】


28日に朗読予定の詩、ひとつ綴り終える【春の蝿】


セキレイと、ピラミッドまでの旅

2ヶ月前から知りたかった小さな鳥の名前を2週間前に来た"歩くひと"に教えてもらった。歩くひとは"留まるひと"になり、一冊の本を渡してくれた。そんな気分ではなかったのだが鳥の名前を教えてもらったお礼に、読んでみることにした。文庫の厚さから、2時間で読み終えると思ったのだが2時間半掛かった、それでもエジプトまでその時間で行けたと思えば大したもんだ。23時、侘びしい漁村は真夜中。僕は文庫本を赤いガウンのポケットに入れて海のとなりを歩いた。ちょうど22時で海沿いの街灯が消えて真っ暗になるところもこの集落の好きなところの一つだ。留まるひとは老夫婦の家の炬燵で風呂上がりの呑気さを漂わせていた。文庫本を彼の手に渡した時、お婆さんがあがってお茶でも飲んできな、と言ってくれたのだが、僕は夢を見る時間なので帰りますと伝えて来た道を口笛と歩いた。22時が過ぎると、見上げた星の多さに驚く。アルケミストの主人公も砂漠でこの星をながめていたはずなのだ。