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波と文学

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誰かの為に生きるのさ

滅多にないのだが今日は両親共に仕事があり、三吾をナンシー(祖母)の家に預ける。ほんの数時間とはいえ、なかなかツライ感情がわく。





その後、妻を駅に送る、仕事モードのビシッとした妻を見送る私は、でろんとしたスウェットパンツをハイウエストで履き、ダサい柄のティシャツを着ている。力なく手を振りながら、まるでヒモだった頃を思い出す。高円寺の商店街、古本屋に寄り道して知らない詩人の詩集をピック、喫茶店でクリームソーダの泡を数えた日々。お盆もあけて、町からまた人が居なくなり残ったのは年寄りと野良猫、いつも通りの風景。三吾は元気にしているかしら。ぬるい風がふいて


歩けば、時が過ぎてゆく。
明日のことなんて誰もわからんよ、


いま、この瞬間幸せである為に働いたりもするよ。昔はよくわからなかったことが、今はよくわかる気がする、その逆に、よくわかっていたはずのことがまるでわからなくなってしまったりもしているけどな人生。俺はもはや誰かの為に生きるのさ晴れ晴れと。







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コンニチワとサヨナラの間に

朝、息子と散歩して帰ってくると自宅の斜め向かいの家の前に救急車が停まっている。ノリコさんに何かあったのかと不安になる。救急隊員が玄関をノックすると中からノリコさんが出てきて「私は元気ダヨ!ここじゃないよ!」と言う。その姿を見てホッとしてちょっと泣いた俺。救急車は別の家の95歳の婆さんを連れて去って行った。近所のひと曰く、最近多いのよ、もう高齢(95歳)だからね。



ここみたいな限界集落で暮らすうえで街よりも少しだけ密な近所付き合いは必要不可欠なのだが、そうやって過ごした近所の爺さん婆さんがある日急に居なくなる明日が寂しい。そもそも人の一生なんて嬉しいことよりも悲しいことの方がほんの少し多いのだよ。と、わかってはいるものの悲しいことはいつも突然目の前にやって来るから悲しい。
なんてことを朝から考えて少しナーバスになることもある。だから今日もこうして僕や家族や集落の人々が生きて、「わちゃ~今日も暑いわ~」なんて言いながら額を垂れてゆく汗を愛でたい、コンニチワとサヨナラの間に。

手紙が届いた。

突然届いた手紙が、妙に嬉しくて愉しかったのでこれを読んでくれている人、手紙を書いて僕に送ってくださいよ。

宛名は山下冗談で結構です、住所は「〒899-1801 薩摩川内市西方町の詩人」と書いてもらえればしっかりと届きます。僕も最初は驚いたけど、これも田舎の美しいクオリティーだと思ったよ。

君の名前は書いてもいいし、空想の名前でも構やしない。君のことを書いてもいいし、昨日見た夢の話であってもなくても構やしない。犬派ですとか猫派ですとかそんな退屈な事情を伝えてくれても構やしない。詩を書きたい人は詩を、思い付きで言葉を並べてもらっても結構。別に意味なんていらない、手紙を書くという行為が欲しい。君の文字を、僕にください。どうか宜しくお願いいたします。夏



追伸

ありがとうございました。手紙をいただき心が踊りました。読んでくれていますか?読ませてくれて、ありがとうございました。。

君と覗いたドーナツの穴の向こうにある景色



当たり前に、過ぎてゆく1日など1日もなく、全ての日々が慌ただしさと喜びに満ちている。朝、目を覚ました時に君とあなたが昨日と同じように生きていることが僕は何よりも嬉しい。

君の目を通して見た初めての海や、君の肌を通して感じた初めての雨粒や、君の足を通して触れた初めての大地、君と覗いたドーナツの穴の向こうにある景色、猫の毛、桃色の花、昆虫の足、欠けた貝殻、流れる水、太陽の光、柔らかな雪、そよぐ鯉のぼり、滑らかな布、電車の音、鳥の羽ばたき、人の優しさ、母親の乳房、美しい世界。それら全ての生きていることの喜びを、ここで改めて君と確認する日々が愉しい。



とはいえ、ひょっとこのように間抜けな自分が、まるで父親みたいな顔をしてのんのんと暮らしていられるのは、これを読んでくれているかもしれない友人諸君のお陰です。これを読んでいるわけのない集落のジィさんバァさんの優しさのお陰です。日々、頼りない体力を振り絞りながら、大きな愛情と強さで僕と息子を包んでくれる妻のお陰です。


みんな、ありがとう。

三吾、ついに一歳になったよ。
俺、なぜか嬉しくて嬉しくて昨日からずっと泣きそうだよ。



たくさんの人の温もりと道標に見守られながら、これからも家族仲良く育っていこうと思っている。だからとても感謝しています。



お誕生日おめでとう、

いつか文字の読めるようになった君に捧ぐ。
いいか三吾、これが愛なのです。

yes!美しい世界。育児のこと




朝からグズりまくる三吾。ここ数日、そんな日が続いているように思うの。目の前に幾つかの道があってそれは少し離れた場所でまた合流していてそこに三吾が立っている。さて、俺はどの道をゆけば彼が喜ぶのかを考えてとりあえず歩みを進める、その道が間違っていれば遠くの彼はすぐに泣きながら両手で×印を作り頭の上に上げる。おっ、欲しいのはバナナじゃなかったんだね、そうかい、そうかい教えてくれてありがとう。とりあえず唄うか、そうすれば彼のご機嫌は少しだけ整うからその間にまた別れ道の入り口に戻り別の道を探索する、を繰り返す。何度も何度も繰り返すと必ず彼が喜ぶ道筋を見つけることが可能なのだが、驚くことにその道筋は目の前に広がる選択肢ではなく、例えば穴を掘って彼の場所まで辿り着くとか、セスナをチャーターして空からゆくとか、場合によっちゃ船を使う為にやや遠回りにはなるがまず海を目指すとか、そういった面倒なプロセスが必要になる。そして、一人よりも当然二人の方がこの場合、心強いし、その道のりも楽しい。だから妻の存在が不可欠だし、彼女にとっての僕の存在もナイスでありたい。愛だから。

ここ何日か続いている息子のグズりのワケを考えながら(明確なワケなんて、きっとないんだけどさ)その対応と解決に間違いのないよう自問自答と僕らの未来へのメモ(&アドバイス)も兼ねてここに記す。ここ11ヶ月の頼りない経験則から言えばコレは成長の兆し、彼の中で起きている大きな変化の前兆、いよいよ重力に慣れてきて2本足で立ち上がり歩き出すに違いねえな、yes!美しい世界が君を待っている。