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波と文学

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風が吹いていないことを知る。



クリスマスから続いた蛸屋の繁忙期がようやくひと段落つき、2014年を終えた、と思った頃には2015年が5日ほど過ぎている暮らし二年目。未だに慣れず、へれへれである。だいたい人が多すぎる。君たちはいったい何を考えているのだ、と地下駐車場を行き来する人間を眺めながら思う。ロクなことを考えていない連中ばかりに違いない、皆、似たような背格好である。よくわからない素材のダサいサンダルのような靴のようなものの偽物のようなものを履いている。また、子供が泣いている。助手席になぜか犬がいる。爺さんが婆さんを怒鳴る。値上がる。田舎のくせに24時間稼働するスーパーセンターに巣くうハトの糞にまみれて、羊も戸惑ってやがる。祝。館内放送の「あけましておめでとうございます」が頭上で響いてうるさい2015年がはじまった。今日の月はとても美しい形をしている。波の音で、風が吹いていないことを知る。

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なみだのうた

ついに世界でいちばん美しく、力強く、神秘的な音を聴いた。

音色と呼べるほど鮮やかではないが、
音楽と呼びたくなるほど楽しくなる音。



それでも、世界に希望を、

すべての命に、全開の愛を。



綺麗じゃなくても美しい。

目の前、30cmの位置に居るのか、それとも、テーブルの向こう側に居るのか、その声は明らかにテーブルの向こう側から聞こえるのだが、その顔面はすぐそこにある。
遠近法云々というより、もはや空間全体を歪められている気がして妙に、心細くなってしまった。

友人の挙式に参加して、その二次会で出逢った顔面のおおきなおおきな男のことである。



血色の良いそのおおきなおおきな顔から発せられる言葉は明朗で澱みなく痛快。相手を選ばずに臨む態度は横柄で大胆。心地よい鬱陶しさ、その中で垣間見せる一瞬の寂しさ。あれは酒のせいなのか。ひさしぶりに愉快な人と出逢った。綺麗ではなくとも美しい人間の様。


名前を聞けばハルオと名乗った。


初対面ではあったものの、昔から知っていたような知りたくなかったような、他人のような友人。


おいハルオ、読んでるか?


ここに散らかっている言葉が僕の暮らしであり、今、僕が過ごしている世界の確かな断片なのだ。
あれから随分年を取ったものの、変わらずに変わり続けていることを、幾らか感じ取ってもらえれば幸い。微かに欠けた月が今夜も海面を青く照らしている、耳を澄まさなくても波の音が聞こえる。冷めた風が裏の畑の長く延びた草を揺らしているよ。
いつか遊びに来て呉れよ、また逢おうな、だからお互い達者でな。家族によろしく、ほいじゃ


顔、デカすぎるやろ





追伸

君からのありがたい言葉が、疲れた身体に精気を灯し、筆を立たせてくれたよありがとう。感謝します。


かなづちものがたり

最近、ブログ書いてないんだねと妻に云われた時、私はメロンパンの皮を食べながら「んあっ」と応えた。愛について。愛というか、この場合、男と、女の"情念"について。


金鎚で、頭蓋カチ割らせてもらおうかなと突発的に思いつくほど激しい夫婦喧嘩をすることもあるのは若いからかね。胃が痛くもなるのは弱いからかね。コトバは、的確に耳から浸蝕して(或いは目から)ココロの外壁を波止場の野良猫の餌付けくらい簡単にずたずたん。崩されて、
ベチャベチャの中に舞う埃の中の哀しみは、タチの悪い怒りに変わる。そして、激的感情の濁流に飲み込まれたまま脳を経過してまた冷たく、鈍く、尖ってしまった私の言葉が生まれる。
相手と自分の涙腺を、感性を、現在を、容赦なく盛大に切り裂くのはもはや暴力。

あんなこと云わなければ良かったの波、寄せては返す和解した夜。若いから弱いから三日月だから、なんつってカラカラダカラと見上げた星空、それはそれは美しく僕は、手から金鎚を落として、流れ星を捕まえようとした。ごめんなさいを伝えるときのお土産として、星くらい欲しい気がして。乱暴な語彙は最早いらないな忘れたいよな。そんな言葉、失われてしまえ愛という名の下によ。

月のない夜はうるさい。




寒い。寒いのはこれを書いている机が二階の窓の隣りにあって窓の外100mの場所には海があり今夜の波はまるで、嵐にそそのかされたような様子だからだろう。月なんて、見えやしない。月のない夜はうるさい。