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波と文学

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呆れるほどちっぽけ


川内市長の、川内原発再稼働容認のニュースを聞いた翌日、伊集院で開催された「川内原子力発電所に係わる住民説明会」に参加してきた。(10月29日)我が家から、10キロほど離れた南の海岸沿いに、原子力発電所は鎮座している。持てる全ての叡智と技術を駆使して核融合で電気を生み出し、それをコントロールするという「人間」の尊い行為は、福島で失敗した。しかし、それがとても愚かな行為だったということまでは学べなかった。私たちは莫迦を繰り返す。人の悲しみと、悔しさと、怒りと、死と、記憶と、後悔と、絶望と、汚れた海と土と空を、見ないふりして、私たちは莫迦の歴史にまた後戻る。
弱い人の声は何年経っても届かない。
振り上げられた拳は、
やがて行く宛を失い、
その他の人々の嘲笑の的になる。
莫迦の歴史に後戻るのは、
この地が莫迦で溢れているから。


これまでの“選択”の末に、ここに居る今の私に何が出来るのか。
一人の人間として呆れるほどちっぽけな存在だ、
到底、世界を変えられるなんて大袈裟なことは考えてないよ。

こんな世界に、変えられたくないだけなんです。
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午前八時の夢心地



玄関からぬらぬら朝陽がやってきて畳に敷かれる光、ひろがる。ぬあー、日記書きてーと、モジ文字しながら畳に寝転んで煙草に火をつけて六畳間に揺らぐケムリを下から眺めて、綴った日記。
昨日の夕焼け、綺麗だな。台風は、空を喜ばせてるんじゃないかって、思うよね。


(携帯電話から)

ぴゃあ




だいたいいつも2階のベッドの上で目が覚めるのは6:30から07:00それから1階に下りてお湯を沸かして珈琲を飲んで煙草を1つまみそれを巻いてポケットに入れて家を出て海辺を散歩する。そこで毎朝数人の同じ人に逢い同じ挨拶を交わす天気が良ければ一言、二言続けて話すこともあるそれは決まってお日さまの話。今日は気持ちの良い始まりだった僕は珍しく誰と逢うこともなくつまり何を喋ることもなく歩いて、
静かに座って、
煙草に火をつけてケムリの向こうの海を眺めた。
僕らは海に囲まれていてそう簡単に遠くにはいけない。その変わりに想像力が覚醒した海洋国家の住人だからラッキー、そうして嬉しくなってくる。一日が始まる。猫が浜を横切ってびゃあと鳴く、風がぴゃあと吹いて。

ノイジーな静寂。





蚊に好まれる色男なもんで面倒で仕方がないのだが、その間に畑の草は伸びたい放題して束の間の自由を謳歌していた。9月も終わりが近づくというのに、今日のお日さまは夏と変わらない尖りめの光を放っていた。腰に蚊取り線香をぶらぶらブラ下げて午後の5時半、我ながら未だ似合わない長靴を履いて妻と畑へ、決着を付けるために、雑草の自由を終わらせるために。数十分後、二人とも顔面を蚊にキスされまくって終了、色男の務めを終えて。ゆっくりと、水平線沈んでゆく太陽を浜辺から見送る至福の時間、ノイジーな静寂が訪れる。目を閉じて、腹で呼吸。今夜のご飯も、きっと美味しいに違いない。腹が鳴って終了。




わおんわおん





僕が「それにしても一年が過ぎるのが早くなったなあ」などと言うと「それは大人になったからなのであり、子供の頃とは事象の感じ方や物事の情報処理うんぬんがうんぬんでありうんぬんである」と、真顔でヌカしてくる人が世の中には多いですよねそんなことはどうでもいいのに。たまに、まるで息を吐くように綴ろうとすればするほど息が切れる。自転車のタイヤに空気を入れるように綴ろうとすればするほど、言葉が嫌になったりもする。なんて、そんな状態である。近頃、急に寒くなったように思う。子供のころは夏が好きだった。そういえば、相変わらずラジオも楽しいし仕事も面白い、夫婦の関係も友人との距離感も、心地良い。そんな日々の充実の中で見ないようにしている「魂」が、吠えている。わおんわおんと、吠えている。