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波と文学

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才能は踊る。

珈琲豆を切らしており。梅雨らしくない晴れ日が続いており。赤子の笑い声がいつものように聞こえる。願えば、雨と、珈琲豆、空から降ってくんじゃねえかって見上げてもそこにゃ曇天、言葉ひとつ落ちてきやしねえもの。神通力、諦めて下を向けば携帯が鳴る。

友人のワキムラがまたNiceなmoviesを拵えて送ってくれた。



https://vimeo.com/170965857




JAPANのRYTHEMがアジアの端ではなく私の頭蓋の真ん中に突き刺さり抜けなくなる。職人の伝統的な手さばきと、それを余すことなく見つめ、拾い上げて作品に仕立てるリョータのマナコの純粋さと脳ミソの狂気よ。目線と感覚の微調整でこの世界から「退屈」は無くなり、普遍的な美しさと刺激的な風景だけが広がる。そしてそれは何も“特別”ではなく、例えばいまこれを読んでくれているあなたが居る“そこ”だって同じなのだ。

リョータの視界に広がり、捉えているのは紛れもなく愛である。どこにでも在る愛である。才能は踊る。


もはや珈琲豆も雨粒も要らなくなった。今日はしばらくコレを眺めておこうと思った。休日の午前。今年のヤマデミー賞にノミネート。







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当たり前の顔をしてすぐそこで。

マスターから何気ないメールが届いたのは1年ぶりである。前回とはまた違う感じの内容で、とある事件の被告人が法廷で読み上げた自らの供述文について。コレ、目を通して見れば?、といった具合に。唐突に。


ところが、そこそこ話題になったらしいそもそもの事件について愚鈍な私は全然知らなかったもので、早速wikiでペロリ。あーはん、凍てつくほど真っ黒な寂しさに喰われた哀れな男が起こしたしょーもねえ事件か。と、一言で済ましたいところであったが、その哀れな男の痛みをあえて開いて中を覗いてみればとんでもねえ深淵。



http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140718-00037501/



これが戦後70年の社会システムが作り出した(正確にはそれよりも少し前から)、快適で安心でボロ儲けな資本主義社会の副作用とも呼びたくなる人間の有り様。近頃の浮世にゃこういう人間たくさん居る気がする。犯罪に走るまでもなく都会でも田舎でも自殺するひとが後を絶たない。この苦しみも悲しみも他人事ではなく、さて、自分に何が出来るのか、たまたま子育て真っ最中の俺に託された未来は可能性という希望と一縷の絶望を巻き込んで転がってゆくのね。思考と実践と反省と(性懲りもなくたまには)反抗も必要かもね、狂っているから世界が、当たり前の顔をしてすぐそこで。キャー






穏やかに揺れる

小説にせよ、詩にせよ、一行目の大切さといったら、それが全てを決めるといっても過言ではない。そして、僕らにとってのそれは子育てにしても然り。


ちょうど、いま。彼の一生における大切な一行目に向かい合い、目には見えない言葉をしっかりと愉快に、夫婦で綴っているところだ。


たっぷりの冒険譚、極上のラヴストーリー、奇想綺譚なSFの混ざり合った独創的な世界のすべてがここから始まる。窓の外に降る一粒の雨が、土に落ちて植物の根に染みて葉になり花を咲かすように彼の世界の土台を空想の種を、じっくりと育んでいきたい。





てなことを淡々と想う息子が生まれて十月が過ぎた今日の雨降り。全ての命が愛しくてたまらんよ。今夜も良美の子守唄が穏やかに揺れている。

自業自得?はぁーん!?

発情するヤング、海亀、ワケありの中年カップル、自殺志願者、親子連れ、犬連れ、夏前夜ともいえるこの時期は気候にそそのかされて、待ちきれない人々が海に集まる。

乞食も来る。

街から離れている場所ということもあり、種田山頭火よろしく流浪型の乞食がこの浜辺にはよく辿り着く(滞在型の乞食は今のところ存在しない。乞食のようなジジィは居るけどよ)


昨日も風呂上がりに息子と近所を散歩していた。夕焼けが奇跡のように美しい町だ、同じように魅了されて日暮れ時に集まってくる老人連中や野良猫といつものように他愛もない話をしていると、どこからか流浪型の乞食もやって来た。
聞き取りにくい日本語で「大分の中津からやって来た」と言うのだが、こちらの陽気な老人諸君は「おー!博多の中洲からですか!ご苦労様!」などと応え、想像を越えるワンダーでチグハグな会話が始まった。

流浪型の乞食は自転車で移動しているらしく、靴がボロボロである。靴底を見せてもらうと大きな穴が空いていた。「若い頃はよく呑みに行ったもんですよ中洲には!」などと言っているジジィ共の言葉には上の空で「腹が減った」としきりに繰り返す乞食。見ていられんかった。


そもそも、乞食と俺の境界は在って無いようなものである、たまたま俺には妻が居て子が居て屋根があって布団があるだけで、目の前の乞食と俺の立ち位置が逆だとしても何もおかしくないのである、ギリギリの選択を、俺は今まで何度も繰り返してきた。それに、乞食の“浮き世との決別”にはどこか嫉妬にも似た想いもある。大衆への迎合を拒んだのか、その逆に拒まれたのか、どうでいいけど、それでも生きているその逞しさはやはり眩しい。

「少し金をくれ」と言われたがそれは断った。あれば呉れてやる、五千円でも一万円でも五万でも十万でも、あれば呉れてやるが、生憎こちらは今月も火の車を華麗にドライヴしている、あげたいのは山々だが貰いたいのも山々である。なので一度帰宅して履いていない靴を取りに戻ることにした。玄関を開けて夕飯準備中の妻に乞食がいた食いもんはねえか?と言えばすぐに弁当に詰めてくれた。(お陰で晩飯の肉じゃがの肉が無くなり“じゃが”だった)


そうして、乞食のもとに戻り、靴と弁当を届けて別れた。その様子を全て、俺に抱かれて見ていた言葉のわからない9ヶ月の息子に呟きながら歩く帰り道、人の暮らしの選択は自由過ぎるほど自由だ、それでも「生きている」ということが全て。面白いねえ、生きるって。生きているっていいねえ







とっくに陽は暮れていた。

俺は自業自得という言葉が嫌いだ。この言葉の蔓延が、自殺大国と呼ばれる祖国の悲惨な有り様に一役買ってる気がしてならない。どうあれ、海がすべての人を拒まないように、ここに暮らす以上、馬鹿や乞食を受け入れずとも、拒まずに生きたいものです。

妻とスキップで帰宅する。

港にて。最近、気になる漁師No1のハマダの爺さんから捕れたてのカレイと、ヒラメを頂く、妻とスキップで帰宅する。


帰宅後、ハマダの爺さんから教えてもらった方法でサバいてみるも、うちの包丁では歯が立ちそうにない。夫婦交代で30分ほど粘ったものの、頭を切り落とすコトで精一杯、諦めてニシカタのビッグ・マザーこと、ふさちゃんに助けを求めることに(丁度、晩飯時で御免なさいと思いながら)


さすがふさちゃんである。
50年早ければ恋人にしたい老婆No1。
箸を置いて晩御飯を中断して口の回りに米粒を飾って華麗な手さばきでみるみる解体されてゆくカレイ、「こっちは刺身にして、こっちのヒラメは唐揚げで、こっちは塩焼きにしなさい、それと表の庭からシソを採ってきなさい」完璧なガイダンスである。半分、お裾分けして妻とスキップで帰宅する。


このようにして、ソーメンの予定だった食卓が海の幸で美味しく彩られることになった。これが海辺の町の奇跡、ではなく日常である。いただきます、つって生き物に人に、町に。







とれたてのカレイやヒラメを撮り忘れたので代わりに俺がいつも履いているサンダルを。早いものでここ4年ほどだいたいコレを履いている、タイヨーで買っている。二足目である。近頃はコレと下駄のダブルスタンダードをキメている、なぜかって?シティボーイだからさ