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波と文学

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てげよゆう

停電が48時間以上続いている。初めての経験である、独り暮らしの最中ということもあり、割と満喫している。二階の突きあたりにある僕の小さな書斎にリクライニングチェアを置いて、窓から月明かりを眺めながら、自家製のキャンドルに火を灯せば読書も出来る。冷蔵庫の中のものさえ気にしなければ誰も知らない西の孤島までヴァカンスに来た気分を味わえなくもない。十時前に寝て、夜中に目を覚まし、読んだことのない古い詩人の詩集を捲れば、またすぐに眠たくなる。秋の虫が途切れ途切れの音を奏でる。月明かりが海面を踊る。野良猫の足音&さわ蟹のひそひそ話、夜風はだれかの寝息で始まる。

それにしても、電力会社の労働者のみなさんは昼夜問わず復旧作業に励んでいらっしゃるのでしょうか、大変有り難てえこった。今朝は水引の民家やコンビニエンスストアやガソリンスタンド、自動販売機、信号機、が稼働していたThunks。西方はもう目と鼻の先だ、エレキ時代に生まれ育った僕らはいつの間にか世界に”ソレ”が在ることが当たり前になり過ぎている。それは勿論、電気だけではないんだなきっと。捉えているつもりが囚われていて使ってるつもりが消費させられているだけ、みたいな。そんな。可笑しな。暮らし。でんぐり返した、みたいな、世界が西の孤島の短い夏休み。
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浜松日記04

分娩室に移動してから子供が産まれるまでの時間はもうはっきりと覚えていない。10分程度だった気もするし、1時間くらい掛かったかもしれない。延々と待たされた気もするし一瞬で終わった気もするが、一生忘れない瞬間に間違いはない。どのタイミングで、あのテレビで見たことのある濃い緑色の、医者が着てそうなアレを、僕も着させられるのかとドキドキしていたのだがそのような事態になることは一切なく、僕のことなんて誰も気にしていない様子でお産が始まったのには拍子抜けた。ひとの命が産まれてくるその時に、命懸けの妻と、それを支える医者と、その空間に一人だけ普段着で存在する自分が可笑しく思えた。

息子が誕生した瞬間、僕は意外と冷静だった。

得たいの知れない多幸感に覆われて僕はついに死んでしまうのでは、と楽しみにしていたものの、妻を見守り続けた僕の10カ月は息子の小さな産声と柔らかい光に包まれて、妻の涙に呆気なく流された。産まれたばかりの子供を胸元に抱いて、美しい涙を流している彼女の横顔を僕はたぶん一生忘れない。


結婚四年目で三人家族になった、


彼女と、僕と、三人目の「私」という意味を込めて、僕らは彼に【三吾】と名付けた。

僕はついに父親になってしまった。

これから先の困難や幸福を、人の親として味わい続けていくわけだが、今は当然、実感なんてない。だけど気付いてしまった、僕は、この子の父親になるために34年前に産まれたということを。

浜松日記03

夜が明けるのが先が、手術が先か。という曖昧な不安を抱きながらついに朝日が窓から差し込む。妻が入院して、2回目の朝を迎える。ひとまず、山は越えたとのこと、医者がやってきて丁寧な説明をしてくれる。安心したのも束の間、破水して時間が経っているため感染症の危険性が高まっており、なおかつ予定日から9日が過ぎ腹の中の子も充分な大きさの為、妻の腕に陣痛促進剤を点滴することを促される。心配性な妻の選んだ信頼のおける大きな病院ではあるものの、ワケのわからん薬を様々な理由で投与されることに対する不安と勘繰りと抵抗は当然ある。成分を聞き、ネットで調べて、リスクとメリットの天秤を測る。 ぐぬぬと思う節も見当たるのだが、心電図から聞こえてくる赤子の声の一時的な弱まりが決断の尻を蹴り上げて決行の合図。本当に、少量を時間を掛けて妻の腕から体内へと流し込み、子宮を刺激させる。

その2分後には、効いてキタ!下腹部に痛みが出てキタ!先生!効いてキテます!と妻が言う。はええな、さすが現代医学、現在の魔術!などと感心しそうになったのだが間髪いれずに看護師が「まだ管のなかを移動中なので、腕にまで到達していません」と、気まずそうに伝えてくれた。僕は妻の顔を横目で見ながら、恥ずかしいアホめ。と思った。

妻は負けじと、いいえ!それでも効いてキテます!とワケのわからんことを言っていた。

朝から始まった促進剤の投入も、昼を過ぎて、時計の針が15時を回った頃、妻も苦しそうな様子をみせ始める。室内は快適な気温が保たれているのだが、唸り声と共に体温が高まり、彼女はすっかり汗だくになっていた、陣痛がはじまっているようだ。身体を捻らせて叫び声を上げる。顔が炎のように赤い。隣の部屋から看護師が二人、三人、次々と駆け付けてくれて妻を落ち着かせようと試みてくれるのだが、彼女は痛みに心が追い付かず、暴れる。医者の説明では、早くても今夜か、明日の出産になるということだったが、それまで彼女の体力が持つのだろうか、僕の額に、大粒の汗を垂らす不安が踊る。つーか出産じゃなくてまだ陣痛なのにマジかよ聞いてないよ、場面は混乱と錯乱のお祭り騒ぎだったが僕はそれら全てを見守ることしか出来なかった。


早くても今夜、という医者の言葉が空耳かと疑いたくなったのは16時半を過ぎて陣痛室から分娩室に移動させられる妻の姿を見た時だった。よくある“生まれたての小鹿”の物真似をしているのかと笑いたくなるほど器用に、小鹿の真似をしながら部屋を移る妻を見て、マラソンランナーを路肩で応援する観衆が持っている小さな旗が欲しくなり、婦長のような女に「あの旗、ありませんかね?」と、尋ねるも無視を決められて寂しくなった。

浜松日記02

妻の入院が決まり。ひとまず、旦那としてやることがなく暇だということがわかり明け方に妻の実家へと帰宅。6時に布団に寝転んで8時に甥から起こされる地獄。


甥とは2回り以上年が離れており、まさに親と子ほどの歳の差なのだがいつ頃からか僕のことは呼び捨てである。ここ2日ほどは気分次第で“ちゃん付け”で呼びやがる。我ながら、ナメられてんなーとは自覚しつつも面白いから放っている。おさむさんが、ほんの義理程度に「友達じゃないんだから!」と甥を制してくれてなんだか嬉しい。甥はヘラヘラしている。

昼間はコイツとスケートしたりゲームしたり水遊びしたり宿題をしたり、絵に描いた夏休みを過ごす。ただただ眠い。


夕方になり、妻の妹と甥と3人で病院へ。小一時間ほど戯れて帰宅。夕食はカレー。浜松に来て以来、1日3食、美味しい御飯がありがたい。21時頃に就寝。23時頃、妻からメールで医者とのやり取りの報告。ホーイ!へえへえ、ぬのーん!などと、適当に返信。

潜在的に、僕も緊急しているのだろう、目を閉じてはいるものの、まったく眠れた気はしない。

まばたきしてる間に、午前1時。腹の子の調子が芳しくない、緊急手術になるかもしれない、と。妊娠して以来、聞いたことないほど弱々しい妻の声が電話先で震えており、出発。道に迷いながら40分掛けて病院に到着。ソファのある大袈裟な個室に移動させられた青白い豚のような顔面の妻を見て、思わず笑う。腹が減ったと妻は言う。不安が微かにほぐれた証し、愛しく思えた。

医者からの説明を受けて、今がちょっとした山場であることを確認した。だからといってやれることもないのでソファに寝転んで妻と誰かの悪口でも散らかしながら睡魔の訪れを待った。隣の部屋では女の叫び声が聞こえて、その隣の部屋から赤子の泣き声が聞こえてくる、僕らは命の始まる場所に居る。ここは、空気が乾燥していて、口の中がすぐパサパサになる。

浜松日記01

何かが出た、シャーと出た起きて起きてちょっと。と言って揺り起こされた。日付は3日、月曜の午前3時過ぎ。妻は意外と冷静だった。二人でリビングに移動して、病院から配布されたお産マニュアルをめくり、現状の把握と、これからの流れを確認した後、念のため病院にも連絡を入れた。すると「これから来てください」とのこと。マジすか眠いんですけど。と思ったが、そんなこと口にして余計な喧嘩を増やすことは避けた。妻が、おさむさんに車の鍵を借りに行った。僕は玄関から外に出て煙草を吸うことにした。とりあえず、長い夜になるのかしら、と、観念して。まあ、暑くなったら嫌だからサンダルで行こ、と考えた。

病院までは30分かからないくらいか。昼間はもっと遠く感じたのだが、早く着いた気がした。妻は助手席でお腹を撫でながら、ここが私が通っていた高校ぉ~続きまして、ここが中学ぅ~ハイ、ここが小学校ぉ~などと、少女時代の思い出を聞かせてくれた。緊張感の無い女め。と誇らしく思った。

病院に着くと真夜中の受付担当から妊婦を車椅子に乗せるように指示を受けた。ドスンと腰掛け、顎でエレベーターを指す妻のふてぶてしさに女の真髄を垣間見た気がした。へこへこと車椅子を押す深夜4時の自分が妙に間抜けに思えた。結局、それから病室に通されて、そのまま入院が決まった。陣痛は無いらしく、相変わらずいつ産まれるのかもわからない状況。

鳥がちんちんと鳴き東の空が白けてきた頃、慣れない町の慣れない車を運転して、独り、妻の実家へと戻ることにした。