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波と文学

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幾つもの嬉しかったことよ。

夕暮れにそよそよと吹く風は暖かく、鹿児島特有の季節忘れの空気感のなか、三吾を腕の中に置いて食堂へ。みんなに、初めまして、の挨拶、誕生と、暮らしてゆくことの報告をする。みんな、喜んでくれて本当に嬉しくてありがとう。


さて、

hamashoプレゼンツのplutata live【うみべのちいさなおんがくかい03】3年ほど前に、熊野の友人から彼らの曲を聴かせてもらい、バンド音楽の面白さと超独創的な詩世界に面喰らって以降、今日の一夜をマジで心待ちにしていた。だから2015年のなかで最も、心の弾む夜を過ごした。

そういうワケで、淹れたての珈琲の湯気のなかでdj sugurusと共に前座を務めさせて頂き大変光栄、イェーイ万歳。密かにとてもリスペクトしている、というより、もはや完全なるファンであるバンドの前でポエトリーするのはそういえば初めてのことでラララララ、とはいえ緊張することなく絶好調の状態でヤりながら興奮した。

うみべのちいさなおんがくかいも、山下冗談も2015年はこれでたぶんお仕舞い。振り返るつもりはないけど今年はたくさんライブした気がする。本当にありがとうございました。手前のような愚鈍詩人が水を得たイルカのようにいつも過ごせるのは完全に友人諸君のお陰であり、愛である。来年も宜しく。3人にパワーアップした家族を代表してここに綴っておく。感謝と、感激を添えて。Peace
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ウェルカム野良死、ノーモア未練。

【ひらいた窓の海風に、
干した赤子の着物がぱたぱたと揺れた。

外は秋晴れだった、
世界中、平和から程遠く、
目を背けたくなる出来事ばかりだ。
それでも生きなければならない、
ってたまにマジで辛くなる。しかーし、
生きなければならない理由があるのです。

みんな、誰かのために、
こうして生きているのよね。

祈りと、悲しみの束の間に、
僕らがここで生きていることの証明を。
今夜のmojoも楽しそう、
明日はニシカタ、楽しいよ。

浜松から帰ってきて海辺で暮らし始めた生まれたての小僧と成りたての母親も連れてゆく予定です。みなさん、遊びましょう。

明日は盟友dj+sugurusとシュッとしたポエトリーを、アッという間に披露(セクシー)します、夜露死苦】



といった内容の告知文をFacebookに投稿して驚愕した。自分は、幼少時代を裕福な家庭で過ごし、20代の前半、大阪の街でホームレスを経て紆余曲折→上京、2011年の30歳から故郷に暮らし現在に至るのだが、生まれてこのかた常に「いつ死んでもいいや」と割りとマジで思っていた。思っていたというより、それが当たり前だった、ウェルカム野良死、ノーモア未練、地獄で閻魔ごと抱き締めてやらあ。てな具合に。


そんな手前が、
「みんな誰かのために、こうして生きているのよね」と、躊躇いなく綴るこの心境と環境の急激な変化といったらねーや、しかも染みるように自然に。




サヨナラ俺

ソファに座り本を読むにしても左隣の空白が気になり飯を食うときは向かい側の空席が嫌になる、友人の家やイベントに出掛けるときのドライブでは助手席が気になり帰り道では眠気覚ましの無駄話が無くて眠たくなる。出産のため、里帰りした妻の居ない初めの1ヶ月は物足りなさと微かな悲しさに包まれて空想の空中で脚、一人でバタつかせてる感じ。


されど、
慣れっつーもんは誰にでも訪れる。


そうしなければそれら幾つもの物足りなさや悲しさが次第に発酵してしまい、やがて、大いなる寂しさに変わってしまう。

そうなる前に人間はその「孤独」にまとわりつく色々を、各々の熟知したヤリ方で(きっと潜在的に、まずは必ず)ほぐして、耕して、ならして、寂しさに変わる前に、「慣れること」を覚えたのだろう。そうしなければ健全なハートやボディでいられないんすよ、僕ら、所詮、孤独な猿の“群れ”だから。ウキキ。


そして、そこからが愉しくて仕方なかった。
誰にも何も言われない大人の姿の阿呆な18歳が甦った僕はそこら中に着ていたTシャツ、ジーパン、靴下、シャツ、キャップを脱ぎ散らかし始めた、しかしパンツはさすがに洗濯機にぶち込んだ、あれは、なんというか、性器のパワー(イメージ・感触)が強すぎて景観の統一性を乱してしまう可能性があった。どうように、稀の稀に食べたくなり食べた2、3個のカップラーメンの容器や、スーパーの惣菜皿や、アイスのカップもそう。景観の統一性を一気にダークサイドに落とし込む可能性が強いから、そういうことは絶対にしない。散らかっていると、汚れているは似ているだけで豊臣秀吉と豊川悦司くらいまるで違う存在なのは我々、日本人の常識である。

室内の散らかりだけではない、行為も、妻の居ない空間では際限なく僕だけの創造が発揮される。裸で読書してみる。裸でサッカーゲームしてみる。裸で階段を登り、靴下だけを履いて階段を降りる。冷蔵庫の中で綿棒を冷やす。ご飯を食べる前にご馳走さまでした!と、言ってみる。ロックンロールを大声で唄う。GEOでポルノを借りる。無茶な時間に用もなく友人の家の玄関をノックする。暇そうな奴にワン切りする。廊下の蜘蛛に名前をつける。妻の嫌がりそうなアダ名を考える。日が暮れるまでスケボーする。ゲップをしまくる。ポテトチップスを二袋買う。狂いながら、詩を綴る、などなど。甦る大人の姿の阿呆な18歳の諸行。最後の、最後の最高のなつやすみ。




24時間後に僕のなつやすみは終わりを告げ、同時に嵐のような春が始まるのでしょう、喜びと可能性、たぷたぷで、絶叫の、愛の。生まれて初めての、生まれたての、愛と。




サヨナラ俺、
ハロー息子、


これがお前を迎えにゆく前夜の俺が部屋の掃除を中断して30分掛けて綴った今の生の気持ちと、気分である。呆れて笑え、

鯉である。

なぜに夫婦というものは女というものはこうも面倒で愛しいのか。


帰宅すると何処からか一枚のわけのわからん内容の葉書が届いており、浜松の妻にこれはなんやろね?つー内容のメールを送る。すると、いま私は授乳中であり昨日から体調も20点なので自分で調べておくれ。と返信される。


おぉそれは悪かった堪忍やでと思い。
「悪い悪い。承知の助」といったメールを送れば、「大丈夫?とかないわけ?」と、やけに尖端の鋭く手触りの粗い言葉が送られてきた。

っぶね、と思い。
そらそうかもな育児って困難っていうし、疲れも溜まっているだろうし、睡眠時間も足りてないだろうし踏んだり蹴ったりdaysだもの。そらそうや。

それで「だ、大丈夫?」と送らせていただいたところ次の返事は「馬鹿にしてるの?」だった。え?なになにこれ、ちょっとぉ何なの?と混乱した。

ぬたぬたといつも通り泳いでいたはずが気付けば人通りの多い交差点の真ん中に置かれた鯉の気分である。こちらの出方次第では売り言葉に買い言葉のバーゲンセールで大喧嘩に発展するT字路である、慎重にゆけよ、と俺の中の俺が耳打ちをする。必要なのは優しい言葉や正しい意見ではなく、深呼吸であるスーーーーはーーーー。なぜに夫婦というものは。

TAMAYAの一夜。

ジャパンツアーと銘打ったベルギー在住の音楽家KEYAKIくんのTAMAYA編で詩の朗読を行ったのだが、これが楽しかった。オーガニック・トランスとかアコースティック・テクノとか(わざわざカテゴライズする必要もないのだが)伸縮可能な1本のデジュリドゥを軸に手元の木琴と手首に巻かれた鈴と尻の下でビート刻むカホンがもともと納屋だった空間をクラブハウスに転換させる奇天烈体験。複数の楽器を同時に演奏して多数の民衆を愉快に踊らせるってもはやどういう脳ミソの仕組みなのかスキルなのか麻薬なのか自分には到底わからない。意味不明の行為である。頭おかしいとしか言い様がない。【トランス】という言葉の意味は「意識」なのだが他人の意識を自分の演奏で恍惚状態にモッテいくなんてイカれた神様の仕業、爽快な罰当たり的行為、電子音ではなく、木の生音というのも僕にとって心地よく、ポエトリーでセッションさせてもらったのですが言葉と木製楽器の相性がとてもナイスでなんだか久しぶりに興奮した。世界各地で気に入った場所に腰掛けて自分の演奏を魅せて客の懐から金を頂戴して「暮らす」なんてもはや憧れとかそういうレベルではなく畏敬の念と純粋な尊敬のまなざし。本人は「いやー疲労の蓄積が半端ないよ今夜の出来は40点」なんてボヤいていたのだが“100%の出来”なんてヤラれたら納屋崩壊して民衆は発狂、TAMAYAのKENちゃんは仕事を忘れて酔い踊り、KAORIちゃんもそれに続いてTAMAちゃんが爆笑。頼んだカレーが延々でてこなくてオレら腹を撫でて困り泣く。といった具合になっちゃう。それにしても楽しかったしカレーが美味かった、また2年後か3年後。その時までまた楽しもうそれぞれをLIFEを、と言わずとも交感。最高の一夜。